2008年10月 7日

「いいお顔」

 先月実家(東京)に帰省した折、妹一家と会いました。
久しぶりに会う甥。
 我が息子よりも半年あまりの年齢差です。
 
 
愛犬レナを撮ろうとしたら、カメラに納まってくれようとしてくれたNちゃん。
ちょうど2歳2ヶ月。
「いい顔して~」「ニッコリ~」と声をかけると...。
 
いいお顔byn「ニッ!」こんな表情を。

これどこかで見たゾォ~。たしか半年前に。
ということで我が家のCD-ROMに保存した画像の中から探しました。
いいお顔bytとっても嬉しくなる贈り物を手にした時の息子の「ニッコリ~」。
今年の春。当時2歳2ヶ月の頃。
 「どうしてこういう表情するのかなぁ?」と当時思いました。
 
普段山梨と東京と離れていて、会うこともできない二人ですが、お互いに一緒にいて影響しあっているわけではないのに、成長過程でしていることが似てる似てる。
 あと数ヶ月で3歳を迎えようとする我が息子は、カメラを向けても素直にいい表情やポーズまでをしてくれるようになりました。
この「ニッ」は2歳児の成長過程のほんの一瞬の出来事だったと甥の表情をきっかけにこの半年を振り返ると感じます。

 今年は保育園の運動会の練習の時点拒絶反応を示し、登園拒否にまでなった我が子。
結局運動会は参加せず。運動会が終わっても登園が不安な様子の日々。
 園の行事に大人が一生懸命になる分、子ども心に違和感を覚えたのでしょうか。
 理屈ではない世界に生きている2歳児。今は無理せずに意思を尊重することにしました。
 「大人の心」に敏感に反応し拒絶感を覚えている息子を私達はそぉっと見守っています。
 他の同級生が順応できても息子ができないこと。
最近読んでいる「おかあさんのモッテソーリ」(著:野村緑)に書かれているまさにモンテッソーリの考えでいう「神様から与えられた宿題」をしているのだと思えてきます。
 「みんなちがってそれでいい」と金子みすゞの詩を思い返します。

 大人になると半年前の自分と現在との変化を感じることが鈍感になってきている気がします。
でも着実に加齢している私達。
 「今」を大切に「明日」につなげて「将来」へ向かって着実に歩んでいきたいと幼子達を見て改めて感じます。

コメント

>息子を私達はそぉっと見守っています。

親として大人として一番いい方法だと思いますよ。
ゆったりとした気持ちを敏感に感じているはずですから。。

「いいお顔」二人ともかわいい!

>他の同級生が順応できても息子ができないこと。

親ってつい比較してしまうし、周りとズレがあることに過敏になってしまう。2年ほど前までの私がそうでした。
「ちがうっていい」ということを認めてくれる大人や社会が、思いのほか無い状況に苦しい思いをしたんですよね。(勝手にもがいただけですが…)

こどものことは尽きぬ心配がまとわりつきますが、大丈夫!!
なんてったって、どんな子も完全無欠。放っておいても、いつも見守ってさえいれば、ちゃんと育つのだ!が自論です。

→のぶちゃん様
ありがとうございます。
>ゆったりとした気持ちを
今日も綱渡り気分でしたが、登園してくれました。
息子より先に、私がお勧め頂いた医院に変更して、とりあえず風邪が快方へ。
母親が元気じゃないと「ゆったり~」になれずで反省中です。

→ムーンママ様
ありがとう!
>「ちがうっていい」ということを認めてくれる大人や社会が、思いのほか無い状況に苦しい思いをしたんですよね。
その土地の風土が育んできた価値観があり、そこで継承される地域性。
もしかしたらと多様性を受けいれる土壌は都会の方がと「隣の芝生が青く見える」気がしてしまいがちな私。
 こと移住者であることで苦労された先人達もいらっしゃり、話をお伺いすると袋小路。
でもムーンママのコメントで抜け出せそうです。 
幻想を膨らます以前に、都会も地方も関係なく、まだ社会全体がそういうことを認めてくれる場所が多くはないことを私がもう少し自覚せねばならないようです。ありがとう。
 移住者が多く集う自主保育の場に参加するようになり、多様な価値観をそれぞれの保護者が抱いて取り組む姿勢に刺激を受けるようになりました。
ちゃんと見守れるよう 親業の修行を積む日々は”子どもの存在”があってのこと。
温かい励まし、感謝です。

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