2007年9月27日

日影のトチノキ(2)

昨日の続きです。
北杜市須玉町まで、山梨県指定文化財の”日影のトチノキ”を
見に行ってきました。
(実際にトチノキは日陰に生息していますが、”日影”は地名のようです。)
現地に着いて、声を失ってしまいました。大枝が横たわっています。
hikagetochi1.jpg
そして木を活かす家具職人と私は、70分間その場所で、
それぞれ思いを抱きながら撮影をしました。
hikagetochi2.jpg
樹齢300年以上のこの巨樹。
ヤフー検索で調べたらサイト名「日本の巨樹・巨木掲示板」
(http://www.kyojyu.com/bb7/pic.cgi)の情報ですが、7月13日にこの大枝が折れたそうです。
その事実を知らず、折れる前の姿をサイト名「日本の巨樹・巨木」
(http://www.kyoboku.com/tochinoki/kantou/hikage.html)で事前に
見ていただけに愕然としてしまいました。
hikagetochi3.jpg
このまま放置され、やがて朽ちていく大枝に鎮魂の気持ちを込めて。
私達が目にした痛ましい光景を掲載します。
長い年月、どれだけの人がこの木と関わってきたのでしょうか?
hikagetochi6.jpg
倒木となった大枝を前にして、私達は会話しました。
自然の姿としては、このまま朽ちていけば自然に帰る。
例えば完全に朽ち、腐る前にこの倒木を製材し、例として家具に
姿を変えるならば、今後100年はこの大枝は生き続けることができる。
でも木を御神木として崇められているならば、
製材するような手を加えることは許されないこと。
また巨木として大事にしたい思いは、
いつまでも木に対して長寿であり続けて欲しいと願い、
「哀しいと感じる」のは、人間の自然を管理したいエゴでもあること。
いろんな視点により、異なる価値感。

ただどうしても、木を活かす家具作りを信条にしている私達には、
このまま放置され朽ちていくのは「もったいない」と感じてならないです。
県の指定文化財だけに処分するにも簡単に行かないのだろうと推察しました。

明日は、このトチノキの周辺で目にした写真をご紹介します。


家具職人の無垢材手作りオーダー家具活木工舎

コメント

わぁ すごいことになっていましたね
それならば女房さんの思うように
製材してはいけないのかなぁ
石頭の教育委員会が許可しないか

→八ヶ岳の青い月様
仮に製材するにも、予算がつく頃には朽ちていると思います。

樹齢を考えると、これだけの大木は現代においても貴重な存在。
何百年も月日人類と共に過ごし、大事にされてきたという歴史。
受け継いできたこの樹を地球資源として、有効活用できたら、有形のものとしてまた人々に大事にされると思うのです。
こういう局面を迎えると、保護文化財って制度難しいですね。

3本の木が一つになって300年ですか!
すごい!
その1本が枯れたとなると、残り2本は寂しいだろうなあ・・。

もし、あとの2本が枯れたなら、
3本のトチの木を寄せて家具にしてあげたら、またトチの木も喜ぶような気がします。

木ににたいする使命みたいなものを感じてしまうのですね。
どちらが木の本望なのか・・・解答はないのでしょうね・・・。

→うめちゃんへ
この木、ある方のサイトでは樹齢600年と推定されています。

木の立場から言えば、寄り添って長い月日共にすごしてきた相方。
残されたものの寂しさもありますね。
根元付近の祠も壊れてしまったまま放置され、修復されず。今後はここに巨木を見に訪れる人も絶えていく雰囲気をかんじました。

→クロハチ様
>木ににたいする使命みたいなものを感じてしまうのですね。
夫は私以上に衝撃を受けていました。
一枚板天板のテーブルや座卓製作で、トチノキと向かい合っているだけに。

>どちらが木の本望なのか・・・解答はないのでしょうね・・・。
木の時間軸は人間のそれとは異なるので、人間の短いスパンで考えること自体、もしかしたらナンセンスなのかもしれないですね。

大きいですね
人物との対比でよくわかります
理想と現実
苦しいところですね

おはようございます。
>山梨県指定文化財の”日影のトチノキ”を
見に行ってきました。

僕も今度行ってみます。
自然の厳しさや人間の自然に対する
労りさなど・・ あらためて感じました・・

おはようございます
職人さんと比べると、本当に大きい樹である事がわかります。
私は、自然にお世話になっているついでに、倒木を利用させてもらっていいのじゃないかと、思います。
人間て、自然の子どもですから、いつまでも親の脛をかじるのは、ごく自然のなりゆき。
ましてや、倒木の役割は、次世代の肥やしですから。悪いことじゃない。(使う目的の決定は、慎重さが必要とは思いますが)
そんな風に思います。

→加藤先生

>理想と現実苦しいところですね
HP用素材として気軽に撮影しに現地に行ったので、想定外でした。
その姿を目に焼きつけてしまった以上、現実に対して、非力な自分達の苦しい思いを抱いてしまいました。

→リモデ屋の若旦那様

>僕も今度行ってみます。
是非、見てきてください。
できれば午前中の方がお勧めです。
木の傍にいると、人間よりも遥かに超えている木の歴史の時間軸を教えられた気がしました。

>自然の厳しさや人間の自然に対する
労りさなど・・ あらためて感じました・・
”木と会話をしている自分”、残された巨樹の幹の生命力など感じながらその場にいると、1日中過ごしていられる不思議な場所です。

→リワーク職人様

>人間て、自然の子どもですから、いつまでも親の脛をかじるのは、ごく自然のなりゆき。
そうですね!目からうろこです。
自然を支配しようとする人間て、視点を帰れば自然の子供。

>ましてや、倒木の役割は、次世代の肥やしですから。悪いことじゃない。
近所の赤松の倒木には感じないのに、相手が巨樹で家具材に適している木であるから、逸材になり得るから、構えてしまうのですが、皆次世代の肥やし。
お陰さまで原点回帰。

こんにちは。
>「哀しいと感じる」のは、人間の自然を管理>したいエゴでもあること。
>いろんな視点により、異なる価値感。
  ふむふむと頷いてしまいます。
  人間のなすべき事は、何なのか?
  考えさせられました。

→あい様へ

たまに、私達の木に対する考えを
お伝えしたいと思いました。
でも、これはあの場で折れていたこの木
から与えられたテーマでもあるのです。

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